刑事モース最終回がひどいと言われる理由とは?涙が止まらない切ない結末を徹底解説!

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イギリスの人気刑事ドラマ「刑事モース」の最終回を見終わって、心がざわついている方も多いのではないでしょうか。

「ひどい」「切ない」「後味が悪い」という感想が検索上位に並ぶのも納得できるほど、この最終回は視聴者の心を深く揺さぶりました。

私も最終回を見終わった後、しばらく呆然としてしまいました。

この記事では、なぜ多くの視聴者が最終回に複雑な思いを抱いたのか、その理由を詳しく解説していきます。

刑事モース最終回が「ひどい」と感じられる最大の理由

「刑事モース」の最終回について、多くのファンが「ひどい」と感じた最大の理由は、主人公モースの孤独で報われない結末にあります。

2012年のパイロット版から2023年のシーズン9まで、全11年にわたって続いたこのシリーズ。

長年応援してきたキャラクターがハッピーエンドを迎えられず、親しい人たちとの深い関係も築けないまま物語が終わってしまったのです。

11年という長い歳月をかけて築かれた人間関係が、最終回で崩壊していく様子は見ていて辛いものがありました。

刑事モース最終回がひどいと言われる理由とは?サーズデイの裏切り

物語の中心にあったのは、若き刑事モースと上司サーズデイ警部との父子のような深い絆でした。

ところが完結編となる第36話では、その関係が唐突に断絶してしまいます。

サーズデイが、裏社会とつながっていたこと、息子を守るために犯罪を犯したことが原因です。

最終回でサーズデイが「エンデバー」とファーストネームで呼びかけたとき、モースはそれを拒絶します。

これまでファーストネームを呼ばせなかったモースが、最後の最後でも心を開かなかったのです。

父のような存在だったサーズデイとの関係が、これらの問題が原因でひび割れていきました。

サーズデイは、息子を守るためとはいえ、人を殺したのです。

そのあとで、自分の娘、ジョーンの結婚式に出席、娘の手を取って踊っているシーンがあります。

「純潔」を表す白いドレスを着た花嫁と、殺人者のサーズデイが手を取りあって踊る。

「花嫁さんが穢された」と感じて、強烈な違和感と、不快感を拭い去ることができませんでした。

それまで信頼していた分、この裏切りは衝撃的だったのです。

ここまで、よき師であったサーズデイ。

なのに、最終回でのこの裏切りは、「ひどい」。

遠くへ引っ越すことが決まっている、上司でなくなるとはいえ、モースはサーズデイを許せなかったのでしょう。

それが、エンデヴァーと呼ばれることを許さない、という行動につながっていくのです。

言葉少なに別れていくというシーンは、感情的に処理しきれないまま視聴者の前に投げ出された印象でした。

視聴者としては「彼らの関係にもっと丁寧な別れを描いてほしかった」という思いが強く、多くのファンが「裏切られた」と感じたのです。

刑事モース最終回がひどいと言われる理由とは?ジョーンとの恋が報われない切なさ

モースの恋愛模様も、最終回で大きな悲しみを生み出しました。

特にサーズデイの娘ジョーンとの関係は、深い友情からロマンスへと発展しながらも、結婚には至りませんでした。

最終回では、ずっと想っていたはずのジョーンとストレンジの結婚式で幕を閉じます。

モースはジョーンのことをずっと「ミス・サーズデイ」と呼び続け、距離を保ち続けました。

結婚式は終わり、ジョーンは人妻に。

「今度こそは幸せになってほしい」という視聴者の願いは、無残にも打ち砕かれてしまいます。

 

刑事モース最終回がひどいと言われる理由とは?銃声の意味、演出のわかりにくさ

最終回で響く銃声は、多くの視聴者にとって衝撃的なシーンとなりました。

この銃声はモースの内面と決意を象徴する重要なシーンとして機能していますが、明確な答えを与えない抽象的な演出に戸惑う人も多かったのです。

特に、モースが一発だけ弾を込め、弾倉をクルクル回した後の銃声です。

私は一瞬、「まさか自分でロシアンルーレットしたの?!」と不安になりました。

モースは生きていて安心しましたが、ここも難解な演出です。

おそらくは、過去を断ち切りたい、という意味で、一発撃ったのでしょう。

視聴者が期待していた「人間関係の着地点」は明確には描かれず、多くの疑問が残されたままでした。

視聴者の「納得したい」という願いと、「答えを与えない」という制作者の姿勢のギャップが、最終回が「ひどい」という評価を生んだ要因でもあります。

刑事モース最終回がひどいと言われる理由とは?合唱シーンに込められた深い意味

最終回のラストシーン、モースは合唱を終えた後、楽譜を指揮者に返し「これで終わり?」と尋ねます。

この何気ない一言が、実は非常に象徴的な意味を持っています。

表面的には、合唱の練習が終わったかを確認する単純な質問ですが、同時にモースの人生そのものを問いかける深い意味が込められているのです。

11年間のドラマシリーズの終焉、サーズデイとの別れ、ジョーンの結婚、刑事としてのこれまでの日々、、、すべてが「これで終わり」という寂しさを表現しています。

そして明るい光のさすドアのところに立つと、そこからゆっくりと出ていく演出は、モースが孤独な未来へ歩み出すような印象を与えます。

どこをとっても、モースが幸せになる予感はなく、「悲しい、ひどい」という気持ちが拭えません。

刑事モース最終回がひどいと言われる理由とは?ラストシーンの2台のジャガーが象徴するもの

最終回の合唱シーンの後、名残惜しそうに振り返り宮殿を出て行くモース。

青春の日々は終わったのです。

車に乗り込んで走っていくと、橋の上で向こうから赤い車がやってきてすれ違います。

若きモースが運転するジャガーと、年老いたモースが運転する赤いジャガーが、オックスフォードの街ですれ違う瞬間——これはドラマ史に残る名シーンとして語り継がれるでしょう。

過去と未来が交差する象徴的な演出です。

2台のジャガーが一瞬交差して離れていく様子に、「主任警部モース」への繋がりと、変えられない運命を感じずにはいられませんでした。

この演出に込められた意味を理解した瞬間、思わず涙を流した人も多かったのではないでしょうか。

あの2台のジャガーのすれ違いは、人生において、誰ともすれ違い続けるモースの人生を暗示しているようでした。

刑事モース最終回がひどいと言われる理由とは?「主任警部モース」への繋がりが生む悲劇性

実はこのドラマ、後に続く「主任警部モース」シリーズの前日譚として制作されています。

オリジナルシリーズでのモース警部は孤独な人物として描かれており、若き日を描いた本作も、その設定に忠実な終わり方を選びました。

つまり、モースの未来はすでに決まっていたということです。

どれだけ視聴者が幸せな結末を願っても、「定められた未来」に向かって進むしかない運命が、余計に悲しみを深めました。

孤独な「主任警部モース」との整合性には、幸せいならない結末しかなった。

理屈ではわかっていても、感情がついていかない、「ひどい」と感じてしまうというのが正直なところです。

刑事モース最終回がひどいと言われる理由とは?後味の悪さはモースの選択の結果

最終回のモヤモヤ

最終回を見た視聴者の中には、まるでイヤミス(嫌な気分になるミステリー)を読んだ後のような感覚を味わった方も多いようです。

事件は解決しても、感情的にはスッキリしないまま、ドラマが終了してしまいました。

「最終回での納得感」を期待したのは、私だけではないでしょう。なんともモヤモヤが残る結末です。

モースの孤独な姿、そしてあの2台のジャガーのすれ違いが脳裏に焼きついて、しばらく離れてくれませんでした。

「こんなひどい終わり方ってある?」と思わず画面に向かってつぶやいてしまいます。

モースの選択の結果

ただし冷静に振り返ってみると、この悲しい結末は運命だけのせいではないかもしれません。

かなりの部分は、モースの選択の結果だと思えるのです。

(サーズデイの裏切りについては別ですが。)

友人が、周囲の人がいなくなってしまうことを気遣って、

「みんないなくなってしまうな。アメリカに一緒に行かないか?空が広いぞ」と誘ってくれたのです。

それなのに、自分には合わないと言って、オックスフォードに残ることを決めます。

サーズデイの娘ジョーンとも、とうとう結ばれないまま終わってしまう。

主演のショーン・エヴァンスは、モースが自分の幸せのために他人の幸せを壊すような人間ではないと語っています。

結婚式の最中、モースが「君を愛している、一言でも言えばよかった。もう遅い」と、愛を告白し、二人はキスを交わすというシーンが流れますが、これは白日夢。

現実には、二人は友人としてハグを交わし、ジョーンは、ミセス・ストレンジになってしまいました。

モースの目から、一筋の涙が流れます。

見ている私も、涙なしでは見られませんでした。

私には、モースが、「自分の順番は後回し」を繰り返した結果、こうなってしまったと思えてなりません。

なんというか、「仕事、他人に対する誠実さ」を選択し続けた結果、モースの時間だけが止まって、みんなは変化し、先に進んでいってしまった感があります。

一人だけ、オックスフォードに取り残されたモース。

孤独な未来へと、道が続いています。

警察の中だけで生きることになり、これからも、選択した通り、変わらない毎日が繰り返されていく。

そして、得られなかった何かを悔やみながら、孤独に生きていくのか、と思うと、空虚な気持ちになりました。

モースの人柄は立派だと思うのですが、なぜ自分に正直にならなかったのか、なぜ少しでもチャレンジしなかったのか。

確かに最終回は、孤独に取り残されたモースが気の毒で、ひどいと感じます。

でも、「善良であること」を選択し続けたことがこの結果を招いた、ということが、かえって悲しくなり、とても残念に思う結末でした。

ただし、「刑事モース」が、「主任警部モース」の前日譚であることを考えると、モース自身の選択で未来は孤独になった、というこのドラマの終わり方はベストかもしれません。

孤独なモースへと、自然な流れで繋がっていき、ここには納得感が生まれます。(悲しい結末であることには変わりありませんが。)

刑事モース最終回がひどいと言われる理由とは?切ない結末は完璧なグランドフィナーレという評価も

一方で、作品としての完成度は非常に高く評価されています。

シリーズ全体を通して描かれてきた「モースの成長物語」と「人間関係の終焉」が、最終回で見事に収束するからです。

ミステリー作家の阿津川辰海氏は、CINRA(シンラ)のウェブ記事「英国推理ドラマ『刑事モース』がついに最終章へ。ミステリー作家・阿津川辰海が見どころを総ざらい」 で、最終話をこう評しています。

物語は文句一つつけようのない完璧なグランドフィナーレを迎える。おまけに、モースがなぜ結婚せず独身を貫くか、なぜオックスフォードに残るのか――デクスターの口からは語られることのなかった、モースという風変わりな人物が内包する謎のすべてに、決着がつくのである。

CINRA(シンラ) 2023年8月4日版

事件解決の手法や、モースがクロスワードパズルを手がかりにするシーンは「見応えがあった」と高く評価されています。

物語の構成や演出、俳優たちの演技、ジャガーがすれ違うシーンの美しさなど、どれをとっても一級品のドラマでした。

ただ、その結末が希望に満ちたものではなく、むしろ悲劇的だったため、感情移入していた視聴者ほど「ひどい」と感じてしまうのです。

モースは結局、出世や名声を望まず、自分の信じた正義と共に歩むことを選びました。

そしてその「正義」が自分だけのものであることも知っていました。

だからこそ、静かに立ち去る彼の姿には、誠実さと孤高の美しさがありました。

この終わり方は、不器用でも、誠実に、真実を探究して生きる、モースの生き方そのものです。

そして、それは、モースのファーストネーム「Endeavour(エンデヴァー、このドラマの英語版でのタイトル。努力・探究の意。)」にも、表されているのです。

刑事モース最終回がひどいと言われる理由とは?まとめ

切なさこそが「刑事モース」の本質

「刑事モース」の最終回が「ひどい」と言われる理由は、モースの孤独で報われない結末、11年かけた人間関係の崩壊、サーズデイとの別れ、ジョーンとの恋愛の不成就、意味不明な銃声シーン、そして変えられない運命への悲しみにあります。

特に合唱シーンでの「これで終わり?」という台詞と、2台のジャガーがすれ違うラストシーンは、過去と未来が交差しながらも決して交わらないモースの運命を象徴する、胸が締め付けられる演出でした。

確かに後味は決して良くありませんが、それこそがこの作品の本質なのかもしれません。

見事なグランドフィナーレでありながら、視聴者の心に深い悲しみを残した最終回。

それでも、この完結編は忘れられない物語として、多くの人の記憶に残るのです。

刑事モースの物語は終わったが、彼が心の中に残したものは、確かに観る者の中に生き続けています。

あなたはこの結末を、どう受け止めましたか。

 

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